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みたりよんだりはなしたり

写真、旅行、おいしいものをたべることが好き。日々のつれづれを書いていきます。

生活を続けることの尊さ。「また明日も頑張ろう」

この春、長女が小学校に入学した。

実はこの春、昨年春に生まれた長男の保育園入園やら私の復職やら、生活の変化が目白押しなのだが、いちばんインパクトが大きく感じるのは、やはり長女の小学校入学だ。

 

入学式は、風の強い晴天の日だった。

彼女は真新しい紺色のワンピースと白いブラウスに身を包み(これは保育園の卒園式で着たものでもある)、胸元には入学おめでとうと書かれたリボン、そして小さな頭には鮮やかな黄色の通学帽をかぶって、仲よしのお友だちと並び、満面の笑顔でピースサインを私に向けた。

校庭の桜は満開で、水色の空に日の丸や自治体旗の紫の色が美しく映えていた。

夫と私の母たちがお祝いの昼食を囲むために来ていたし、学童の入会式や習い事もあったので、分刻みで動き回り自電車を必死で漕ぐ、とても忙しい一日だった。

これからの生活の変化など、まるで考える余裕もないほどに。

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そして学校生活が始まった。

朝起きる時間が一時間早くなった。

小学校は、近所のお友だちと待ち合わせて登校する。校門が開放されている時間が10分程しかないので、時間はかなりシビアだ。

起床してから家を出るまでの時間、私はひたすら家事と長女長男の世話と自分の支度で動き回り、「もう何分だよ、ご飯食べ終わって」「ハンカチとティッシュは持った?」「歯みがきは?」と時には声を大きくして長女を急かし続けることになった。

それこそ分刻み。

起床時間を早くして全体の時間を長くしたところで、その分だけ長女はのんびりと朝食を食べるので意味がない。

やっとのことで長女にランドセルを背負わせ、私も長男を抱っこ紐で抱え、慌てて集合場所に向かい、長女を送り出す。

息をつく暇もなく、長男を抱えて自転車で保育園に登園。

長男を預け、保育園の門を出たところで、ようやくホッと息がつける、そんな感じだ。

 

朝も忙しければ、夕方も相当なものだ。

長女を学童に、長男を保育園にそれぞれ迎えに行き、自転車を漕ぎながら今日の夕食のメニューを長女と相談。

玄関のドアを開けるなり、長女の手を洗わせ、ランドセルの中身を出させて明日の支度をさせる。

その間に私は長男を抱っこ紐からおろして放牧した後、長女から差し出された連絡帳袋を開ける。

お便りが少ないとホッとするが、多いときは大変だ。お便りをスマホでスキャンした後、読み落としがないようにじっくりと中身を確認する。

その間に長女の宿題と、学習習慣をつけるためにやらせているドリルを、あの手この手で褒めたりなだめながらやらせる。長女の宿題に参加したいために、つかまり立ちで手を伸ばしながら長女にちょっかいをかける長男を何度も机から引き剥がしながらだ。

宿題とドリルが終わって長女が読書やテレビなど自分の時間を取り始めたら、夕食の支度。

今度は私の方にハイハイでやってきて、何かとまた参加したがる長男をかわしながら慌てて夕食の準備をする。

夕食は、長男の離乳食を与えるのと自分の分を食べるのと交互にやり、そして朝と同じくのんびり食べて時々手が止まってしまう長女に時々声をかけ、長女の話を聴きながら食べる。ほとんど聖徳太子だ。

 

夕食を食べ終わったら、お風呂の給湯のスイッチを入れ、食洗機に食器を放り込み、食洗機で洗えないものをざざっと洗う。

やっと一息つける、と思っても気がつけばお風呂の時間。

浴槽に掴まってあわよくば沈んでしまいかねない長男を見ながら、長女のとりとめのない話やなぞなぞに付き合う。洗い場では長女に指示を出して自分で洗わせながら、急いで長男を洗い、自分の体は超特急で洗う。

お風呂を出れば、自分の体を拭く間もないまま長男の体を拭いて着替えさせる。冬だとあっという間に体が冷えるので、暖かくなってきたのが本当にありがたい。

そしてこの時間になってくると長男が寝ぐずりを始めるので、猛スピードで長女の髪を乾かし、歯を磨かせ、自分も歯を磨いて、長男を抱えて長女とともに寝室に飛び込む。

授乳しながら、まだ眠りたくない長女をなだめ、長男が眠りについた頃、長女もいつの間にか眠りに落ちている。

私はスマホを少し見て、そして明日のアラームを確認して、目を閉じる…。

 

もういい加減読む側も嫌になってきたと思うが、こんな感じの日々を毎日続けている。

 

こんな感じの分刻みでタスクがテトリスのように積み上がっている日々は、保育園でも同じだった。けれど、小学校に上がってから、親のタスクが増えたというか、質が変わり、精神的な疲労度が増したように思う。

親がやってあげられることと子どもができることのバランスがデリケートになってきた。自分でできるところはやらせながらも、親が手伝わないとできないところはサポートする。見極めが難しい。

そして、保育園では正直保育園でやってもらえることも多かったし、子どもたちも親も甘えていられるようなところがあったが、小学校はそうもいかない。

五月雨で吹雪のように降り注ぐお便りの指示に従いながら、子どもたちが日々をできるだけうまく過ごせるようにするのに、親がしなければならないサポートが実は多い。

幼児と小学生の間でいきなり成長なんてするわけがない。幼児だった子どもが小学校で小学生らしく振る舞えるようになるまでの緩やかな上り坂は、実はずっと親が支えて底上げしているのだということを、この2週間で痛いほどよくわかった。

小学校に上がったら手が離れるだなんてとんでもない話だったのだ。

 

働きながら、保育園に甘えながら過ごしていた日々を懐かしく思う。

そして、こういう日々を溺れそうになりながらなんとか続けていると、自分の母親もこんな風になんとか日々を続けてくれていた。毎日毎日ごはんを作り、学校のことをやり、朝は私を起こし夜は私を寝かせ、とにかくありとあらゆることをして、私を育てていてくれたのだな、なんてふと思う。

 

同じ日々、同じタスクを日々こなして、生活を続けていくというのはなんて尊いんだろう。

そんな毎日を、同じように続く日々を変わらず続けていっているお母さん、お父さんたち。

朝や夕方、保育園で、学童で、交差点ですれ違うたくさんのお母さんやお父さんたちに、「また明日もがんばろうね」と声をかけたくなる。

 

また明日もがんばろう。