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みたりよんだりはなしたり

写真、旅行、おいしいものをたべることが好き。日々のつれづれを書いていきます。

コインロッカーのネジ。を、母親になってはじめて読み返した。

長男が少しずつ大きくなってきて、そろそろ長男専用の服や雑貨を収納する場所が必要になってきたので、リビングの一部を占拠していた本棚の下段を、思い切って長女・長男用の洋服置き場としてチェストに換えることに決めた。

そのため、今、本の断捨離を少しずつ進めている。実家から持ってきていて長く所持していた本も断腸の思いでいくつか手放すことに決め、整理している。

そのうちの一つが、こなみ詔子さんの漫画「コインロッカーのネジ。」

初出が1991年、私が中学生の頃のこと。当時の私はコバルト・ティーンズハート・ウイングスにハマっている女子だった。

コインロッカーのネジ。は、過去に傷を持ちながらも真面目なサラリーマンとして生活する八坂弘が、コインロッカーに捨てられた後施設を飛び出し、ストリートチルドレンとなっていた少女「ネジ」と出会って同居するようになる。
その中で、弘、ネジ、そして周りの人々にいろいろな事件や変化が訪れるという物語だ。

弘は実は大切な人を亡くした過去があり、それが元で自殺未遂をしたことがあることが1巻の序盤でいきなり示唆される。

 

重い。

 

そして彼らをとりまく人々のさまざまな人間模様(主に家族やパートナーなど極めて近い存在との葛藤)が一話完結で描かれながら、螺旋的に、弘の過去、ネジの過去が語られていく。

ネジは、その中における、普段人々が口にしたり態度にできないような「優しさ」とか「ゆるし」とか「希望」を表していく存在だ。

ストリートチルドレンとして育ったことにより、世間一般の価値観、いわゆる「世間体」から自由なネジは、世間体や人目を気にすることで否定されるもの、素直になれない感情などに「どうして?」を突きつけていくのだ。

 

中学生当時の私は、この作品が持つスタイリッシュさ(90年代のバブル末期の妙にスタイリッシュな感じ)、線が細く硬質な絵、そして登場人物や読み手の傷をえぐりながらもそれを丸く受け止めて希望に変えていくような(バッドエンドの話もあるのだが)、そんなところに魅力を感じていて、「好き」というよりは、「何かあった時に読み返したい作品」として気に入っていた。

社会人になってからしばらくこの作品を読み返していなかったのだが、転居のたびに、捨てられず、ずっと手元においてきた作品。

手放すにあたって、改めて読み直した。

 

漫画とか小説は、作者によって設定されたテーマはひとつとしても、読む側の気持ちや価値観によって、受け止め方が変わってくると思う。

今回、この「コインロッカーのネジ。」を読んで、明らかに、鮮やかに受け止め方が変わっていた。

中学生当時は、「なんかスタイリッシュで、トラウマを抱えた人たちの群像ドラマみたいな話」と思っていた。

母親となり、娘との関係に悩んでいる今の私にとっては、この物語が描く「家族という関係の難しさ」「依存的、抑圧的な母親の存在と、子供への影響」の部分が*1、何とも胸に苦しく迫ってきて、驚いた。

 

当時の自分も、母親との関係について悩んでいたが、子供の観点からのみだったので、この物語が描くその重さに実は半分も気づいていなかったと今になって思う。

母親という側になり、子供側からも、親側からも両方の目で見ることによって、その複雑な切り口に改めて気づいたというか。

 

母という存在の大きさ、疎ましさ。子供に影響を与えてしまうその怖さ。

子供はそれを乗り越えられる力を持っているであろう、という希望。

 

受けた印象をうまく言語化できない。もどかしい…。 

手放すのは仕方ないけど、やはりこの作品が好きだ。

 

※いわゆる「腐」的な要素とか、セクシャルな描写が少し含まれるので、そういうのに抵抗がある方にはおすすめしません。

*1:もちろんそれがすべての話ではなく、ごく一部のエピソードで取り上げられているに過ぎない