読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

みたりよんだりはなしたり

写真、旅行、おいしいものをたべることが好き。日々のつれづれを書いていきます。

写真を撮ること、見せたいと思うこと:映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

昨年の話になるのだけど、映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観に行った。

彼女の詳細なバックグラウンドを知らないまま。彼女のストリートフォトがとても素敵だと思ったから。

ドキュメンタリー映画だったのだけど、彼女の生涯がけっこう重く、割と鬱展開で、表現とその人の人生に関して、考え込んでしまった。

 

 

彼女のことを知る人たちは、異口同音に彼女は変わり者(それも異常とも言えるレベルの)で孤独だと話していた。彼女の晩年には胸が痛んだ。
でも彼女が人を遠ざけた、自身の感受性の強さ、空気を読まない遠慮のなさ、こだわりの強さが、ドキッとする距離感のストリートフォトを生み出したのだと思う。

 

彼女は彼女の行き方を貫いて幸せだったのだと思う。でも本当のことはわからない。
一般的に幸せとされることと彼女の間にはものすごく距離があったように見えた。彼女が撮った写真は素晴らしい。でも彼女は自身の作品の公開を望まなかったという。

表現は人とつながる手段だと思っていたけれど、表現行為自体だけで彼女が写真に求めた社会性は充足されていたのかもしれない。

 

ヴィヴィアンには収集癖というか過去の記録を全て溜め込むこだわりがあったようなので(彼女は住み込みの乳母だったんだけど、その溜め込み癖により何度も住み込み先をクビになっている)、もしかしたら、写真は、彼女が見たものの収集だったのかもしれない。
だから誰にも見せる必要がなかったのかも。

 

むしろ自分の大事な宝箱の中身を誰にも見せたくなんかなかったのかもしれない。

 

自分が写真に関して思っていることや、表現でお金がもらえることが表現を生業とする人のひとつの成功だという考えが、ぐらっと揺らいだ気がした。手放しにおすすめはできないけど、考えさせられる映画だった。

 

※本記事は以前書いたtumblr記事を加筆修正したものです。

vivianmaier-movie.com